Apecs

アペックスで働く職人たち

「フィルム一筋。」 自分自身を磨き、多くの人に喜んでいただく- それが私の夢です。

ウインドフィルム 「一枚貼りの鬼」

和田 仁 Hitoshi Wada

和田 仁イメージ
出身地  :  茨城県
血液型  :  O型
趣味  :  日本酒を嗜む

1979年、筑西市(旧下館市)に生まれる。幼少時代は、落ち着きが無く好奇心が旺盛でやんちゃばかりしていたそうです。父が車やバイク等が趣味だった影響もあり、車のタイヤ交換オイル交換等、簡易的な整備を見てるうちに幼少期から自然と車には縁があったようです。

小学校に上がり父の友人達と近く河原でバーべキューをしながら3輪バギーを乗る、そういった機会があり、益々走るものへの関心が強くなったのかもしれません。中学校時代は、バスケットボール部に入り、ただがむしゃらに3年間毎日練習をしました。その頃から1つのことに熱中するということを覚えたのかもしれません。

高校生になり勉強が嫌いだった私は遊びに明け暮れた日々を送りました。誕生日が比較的早かった私はすぐ免許を取り家にあったバイクを乗り回し、すると自然にバイク好きの仲間たちが集まりツーリングやレース的な遊びをしました。目立ちたがり屋だった私はバイクを改造し、マフラーを換えるという作業の中でもただ換えるのではなく素材、音、性能、作っている会社、すべてにこだわりました。雑誌はもちろん、走ってるバイクの音に耳を傾け、停まってるバイクを見ては見知らぬ人に話をかけ情報を集めました。そしてお店に足を運び在庫がなければ全国を探し回ったりもしました。やっと見つけたマフラーを付けた時その達成感とみんなの見つめる眼差しが私の心を熱くしました。物へのこだわりを覚えたのはその頃からだったと思います。

和田 仁イメージ
和田 仁イメージ
和田 仁イメージ

暇を作ってはバイクをいじっていましたが、高校生だった私にはお金が無くバイトを始めました。今思えば、そのバイトが私の人生を変えた出来事でした。
当時ある飲食店の駐車上の一角に車がやっと一台入るスペースの中で車を磨いていた人がいました。
もともと車が好きだったので、そこで洗車や室内清掃等の手伝いをするというアルバイトを引き受けることにしました。

学校に行き部活を終えバイトをする日々が続きましたが、そこでの仕事はとても刺激的でした。
スペースが無かった為その日の中に車を磨き仕上げなくてはならないという状況の中、深夜までの作業が続いてもそれが苦にはなりませんでした。
ましてや、これが生涯の仕事になるとは思ってもいませんでした。

給料をもらってはバイクのローンを払い、友人達と酒を飲み朝まで遊んだ高校生活でした。今思えばもっと勉強しとけばなあ…と思う時もあるがその遊びやバイトの中でいろいろなことを教わった気もしますが・・・。

そして高校卒業間近の頃、いつものように車を洗いお客様に渡す時のこと「いつもきれいに洗ってくれてありがとう!」と声を頂いたのです。そのお客様の一言で私は決心しました。この仕事を生涯の仕事にしよう!!
そして、そのまま就職しました。
その仕事場では社長一人磨き専門でやっていたので私はフィルム施工を専門に覚えることになりました。右も左もわからないまま千葉で一日の講習を受け次の日からフィルム貼りの練習が始まりました。教えてもらった先生の言葉のメモを片手に練習をした。朝9時から深夜4時までやってもうまく貼れず、どうにもならない現実と不安で眠れない日々を送ったのを覚えてます。
一週間がたちお客様の車を仕事として貼ることになりました。リヤガラスの一枚貼りをしていた私はフィルムの縮み方に悩まされました。このフィルムが縮んでくれるなら指が溶けてもいい、そんな思いで毎日深夜までの作業が続いたのを覚えています。
そして月日がたちフィルム施工も慣れてきた時、このままここにいていいのだろうか、と疑問が湧いてきました。そんな時、ある雑誌を見てアペックスの存在を知りました。アペックスには、今まで欲しかった道具やすばらしい設備があるここで頑張っていきたい。そうして、アペックスの門をたたきました。

自分が理想としていた環境と設備、終わることのない技術向上へのこだわりを持つアペックスのスタッフとして、技術を磨くことはもちろんのこと、自分自身を磨き多くの人に喜んでいただく、それが私の夢です。

社長からのメッセージ

入社して、1年間下館から往復100キロ以上の道のりを通勤し、雪が降る天気予報が出ていると、遅刻しないようにと深夜のうちに会社まで来て、駐車場で朝を待ったこともあった。
そんな、熱い思いが社長を感動させ、アペックスに正式採用された。
今は、宇都宮に住んでいるが、仕事に対する情熱は今も一向に変わってはいない。
ウインドフィルム一枚貼りの鬼・和田 仁

ウィンドウを閉じる