Apecs

アペックスで働く職人たち

「ディティリングの頂点へ」お客様に喜んでいただくこと、それが自分の喜び。キレイ通して、お客様に感動をお届けしたい!

すべてのお客様に最高のカーディティリングサービスを提供「アペックス代表」

郡司 公生

郡司 公生イメージ
出身地  :  宇都宮
血液型  :  A型
趣味  :  旅行・ホームセンター巡り
 :  フェラーリF430購入

地元宇都宮生まれの宇都宮育ち。小学校の時から自宅に卓球台を買って、庭で卓球をやっていたせいか、あの頃卓球というと暗いと言われていたスポーツでしたが、中学・高校と当然のように卓球部に入って、部活に明け暮れという学生時代を過ごしました。

高校は、はるばる宇都宮から真岡まで自転車で片道20キロ近くを通学し、今思えば、恐ろしく遠かったのですが、その時は若かったとしか言いようがないなつかしい記憶があります。 あの頃は、今の温暖化の時代と違い、宇都宮の冬の最低気温が、連日氷点下8℃位まで冷えているなか、毎日よくぞ通学したと思う今日この頃です。

それから、一人暮らしにあこがれ東京の大学を卒業後、俗に言うUターンで地元の企業に就職しました。 私は、時々テレビで出てくるような、広大な芝生の中に立つ一軒家に住むことにあこがれ、いつかアメリカに住みたいという夢があったので、それを実現出来る会社に就職しようと考え、地元の食品機械のメーカーに就職しました。

郡司 公生イメージ
郡司 公生イメージ
郡司 公生イメージ

その頃は、特に車に興味があったと言うわけではありませんでしたが、就職と同時に 当時、人気のあったリトラクタブルヘッドライトの真っ白なプレリュードを新車で購入し、休みの日には早朝から、せっせと洗車しワックスがけをするのが日課でした。
メカ的なことに関しては特に興味がなかったのですが、人一倍キレイにすることには、感心があったのは事実でした。
これは性格といいますか、子供の頃から母親の手伝いなどで、家の中の掃除などをするのが、大好きでした。車も、自分の車を所有する以前から、父の車を洗車しワックスを掛けるという事をよくやっていましたので、家の前を通る新聞配達のおじさんには、「そんなに洗ったら塗装なくなるぞ」といつも言われていた記憶があります。

ちょうど、私が就職した平成元年頃は、バブルの絶頂期で洗車などがブームの時でもありました。クルマ雑誌などには、必ず洗車特集の記事が載っていて非常に興味深く見ていました。そうしているうちに、クルマをキレイにする仕事があるという事を知り、非常に興味を持ったのもこの頃でした。

この頃から、自分でこんな仕事をやって見たいと少しずつ考えるようになりました。しかし、現実には日々の仕事に追われていて、年間の半分くらいを海外出張するような生活をしていましたので、いつかはやってみたいと言う願望で日々の生活を送っていました。
そんなある時、東京モーターショーに行ったところ、(その後私の師匠となった)洗車界のカリスマと言われた、モービルクリーンベースの高木代表が、洗車について科学的に解説し、そこに人だかりが出来ておりました。
洗車について、興味のあった私は当然、その話を聞き入りました。そして、そこで配布されていた資料に、弟子募集の言葉を見つけたのでした。
それからの私は、ますます車をキレイにすることに夢中になっていったのです。
そして、いつかあの高木代表の弟子として修行して、クルマをキレイにすることを仕事としたいとの思いが日に日に強くなっていったのでした。
そして、ある時高木代表に電話し、横浜まで会いに行き、この仕事の将来性ややりがいなどについて、話を聞いてきました。決して甘くない仕事ではあると思いましたが、その思いは益々深まって行ったのは言うまでもありません。
それから、まずは休みの日には、横浜まで行って仕事を手伝うことにしました。そうして、徐々に技術を身に付け、機会を見て独立することを考えていました。
そうしているうちに、ドイツに出張中に来月からアメリカ駐在員として、5年間赴任するようにとの辞令が出たのです。
「憧れであったアメリカでの駐在生活」と「退職して車をキレイにする仕事への独立を前提とした準備」のどちらかを選択しなければならなくなったのです。状況を見ながらと考えていた私にとっては、駐在を断れば退職するしかない状況でしたので、もう待ったなしの判断を下さなければならなくなりました。
アメリカに行って、帰国したのち、再度考えればと言う周りの説得もありましたが、 悩みに悩んだ挙句、車をキレイにしてお客様に喜んでもらうことを一生の仕事にしようと誓ったのです。ちょうど、28歳の時でした。それから、この仕事は、まずは技術が基本であると確信し、横浜にあるモービルクリーンベースの本部で、無償で修行させていただくようにお願いしました。その時、すでに家族もおりましたし、独立する際の設備費用などを考えると、びた一文無駄なお金を使うことは出来ない状況でしたので、寝泊りに関しては、モービルクリーンベースの先輩で、横浜で営業していた方の2〜3畳ほどの事務所に、当時乗っていたハイラックスサースの後ろに布団を積んでおき、毎日夜になると、近くの銭湯に行きそれから、布団をクルマから下ろし事務所に敷いて寝るという生活を1年近く続けました。
その間、地方にいてはなかなか経験することの出来ない、テレビCM撮影用の車磨きや 全国のディーラーやクルマ関連業者様へ、出張でクルマ磨きの技術指導に行ったりと大変貴重な体験をさせていただきました。
振り返ってみると、家族はもとより、こうしたたくさんの方々の協力があって今の自分があることに感謝の念でいっぱいです。
それから、地元宇都宮に戻り、自宅脇に車1台分の作業所と洗車スペースを確保した作業場を作りました。
開業はしましたが、毎日仕事はなく、その年の年末には知人の紹介でディーラーさんで アルバイトをしたという苦しい時期もありました。なんとか、一台一台施工させていただいたお客様の口コミで、少しづつ仕事が増えてきてなんとか商売としてやっていけるかなと思えたのが、ちょうど1年過ぎた頃でした。
とにかく、一台一台の車を必死にキレイにしてお客様に喜んでもらいたいという思いで仕事をし続けてきました。

そうして約4年、自宅脇の作業場が手狭になってしまい、それまで、お客様とお話しする場所さえなかったところから、接客・展示スペースを備えた事務所と、洗車〜コーティング施工まで全てを室内で行うことの出来る工場とを兼ね備えた、全て私の理想としていた環境の現在地に移転しました。自宅脇の作業場とは、土地の広さ・工場の大きさから言っても4倍、と言うことは経費も単純に4倍近くかかることになります。移転したからといって、急に仕事が4倍になるわけではありませんので、冷静に考えると恐ろしいことですが、当時はやっと理想の環境で仕事が出来るという希望に満ち溢れ、全く不安は感じておりませんでした。
そうして移転してから、すでに6年、開業して10年を迎えることが出来ました。
これからは、これまで蓄積してきたノウハウを活かし、より質の高いサービスを提供していくことが、これまで当店をご愛顧いただいたお客様への、恩返しであると考えております。
ひとつ、当社の企業理念の中にクルマを心で磨くということがあります。我々の仕事はお客様自身には、形としてはなかなか見えにくいものです。ですが、施工するスタッフ一人ひとりが、心からお客様に喜んでいただく、全てのお客様に感動していただくと言う思いを持って施工し続けていくという事を、スタッフ一人ひとりに伝え続けていきたいと思います。常にホスピタリティを持って仕事をし続けていくこと、それを伝えていくことが私の本当の仕事ではないかと思っています。

お客様からの声

宇都宮在住K様より
自宅脇の小さなガレージでたった一人で作業していた時の人柄と、10年経った今もなおその人柄は何ひとつ変わっていないですね。人は進化すべきものと、そのままであった方が良いことがあると思いますが、まさに進化すべきことは進化し、良いことは残しつつと言う言葉そのものの人だと思います。このお仕事は、信頼ということが全ての仕事かと思います、是非、初心を忘れず、これからも期待を裏切ることなく信頼を守り続けて行ってください。
埼玉在住のM様より
行く度に進化していると感じますね。設備などのハード面はもちろんですが、一番感じるのは、スタッフさんたちの対応ですね。社長自身、かなり社員教育をされているなぁと感じますね。私も会社を経営していますので分かりますが、スタッフさんたちにとってはかなり厳しいと感じられるかと思いますが、それを実践されているスタッフさんたちの人柄、そして社長自身の人柄が滲み出ている会社と感じています。
私も定期的にメンテナンスでお世話になっていますが、毎回行く度に勉強になります。
こういう会社こそ、社長はもちろんですが、社員さんと共に大きく成長していって欲しいと願っています。
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